大盛うどん

大盛うどん

大正2年創業 平成25年に100周年

大正2年以来、宮崎の伝統の味を守り続けている大盛うどん。  
当時   江平には市場・造り酒屋・映画館があり、商店街はいつも多くの人であふれる街でした。  

四国       徳島から移住した創業者       久米房吉さんは、活気あふれる江平に宮崎では初めてのうどん屋を開業。   開店当初、売れ残りが出ると、麺は店の裏の江平池に廃棄し魚の餌になっていましたが、初代女将       久米シマさんの発案で、どうせ捨てるのならと"大盛"にして出したところ「盛りがいい」と評判になり、とうとう屋号を「大盛うどん」にしたと伝えられています。  
濃い色で甘い出汁は、毎朝厳選したイリコで濃厚な出汁をとり、特別に作られた醤油と合わせ、他では味わえない深みのある味です。 麺は出汁によく絡む、自家製のふっくらで柔らかな麺が特徴のうどんです。

"大盛"うどんの発案者の初代女将 久米シマさん

大盛うどんの歴史

開業から12年、大正144月に初代房吉さんは65歳でなくなりました。その後、店は房吉さんの息子である安一さんが受け継ぎ、商売はうまくいっていましたが、太平洋戦争勃発。安一さんの妻・豊子さんが昭和184月に結核で亡くなり。昭和20年、終戦間際の空襲でお店は全焼してしまいました。

昭和21年頃、かねてから所有していた現在の地に店舗を建てます。その当時は食料統制が厳しくうどんを売ることも出来ず、大きなうどん釜でじゃがいもや人参などの野菜をごった煮にして売っていたとのことです。やがて統制も緩められ、農家から買った小麦を製粉し、うどんを売れるようになります。暗い戦争が終わり、ようやく復興に希望を見出し始めた昭和295月、安一さんは52歳の若さで急逝。三代目の宗安さんが高校二年生の時でした。三代目を継ぐには17歳で、まだ若すぎる状況でしたが、13歳年上の姉・喜美子さんがいたおかげで、大盛うどんの味は途絶えることなく続けられました。

その後、コメの統制は撤廃。その頃、宮崎市内に何軒かあったうどん屋は、競うように一杯飯屋に変わっていきます。ついに宮崎で名の知れたうどん屋さんは「三角茶屋」「ばか盛りうどん」「大盛うどん」の三軒に。その後、一杯飯屋はだんだん姿を消してゆきます。業態を変えずに「うどんにこだわってよかったと思いました」と当時を宗安さんは振り返ります。そして、現在の大盛うどんは四代目の亜紀子さんが中心となって切り盛りし、平成25年に創業100周年を迎えました。
 

大盛うどん
880-0051 宮崎県宮崎市江平西1丁目5-60
Tel: 0985-26-2011 
店休日:毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は営業)
営業時間 平日9:0019:00、土日祝祭日8:0020:00 
http://www.oomoriudon.com

店舗南側 昭和44年頃

店舗アーケード側 昭和44年頃

昭和48年当時のTVCM画像